8月中旬に、義母が熱中症で入院することになったときの話です。
そもそも5月あたりから、自力で立ち上がるのが困難になっていて、時折私に電話が入ってきていました。朝電話が入り、急いで準備をして、30分ほど車を走らせ実家に行き、義母をベッドから起こしたり、トイレから出てくるのを待ったりすることが度々ありました。
この段階で、第三者(訪問介護)を入れるべきだったと思いますが、義妹さんが嫌がったため入れることが出来ませんでした。そんなで、だましだまし生活していたのですが、とうとう事件は起こります。
予兆・・・
入院する2〜3日前、我が家はお盆休みで一泊二日の旅行に出ていました。車で旅行先に向かっている最中、義母から電話が…
「Yちゃんがお世話してくれないの…」
Yちゃんとは、旦那の妹(上記で出てきた義妹です)。長らく義母の介護をしていてくれてたのですが、どうやら限界が来たようでした。そもそもあまり体調が良くなかったようで、スマホを鳴らしても出てくれないと言った感じでした。ちなみに同じ屋根の下に住んでいます(苦笑)。
「お母さん…。私たち旅行に出てしまっていて…」
正直、どうにも出来ない状態。今から戻るわけにも行かず…。かと言って他に連絡することも出来ないので、「Yちゃんに電話かけてみる」と言って義母との電話を切りました。つうか、同じ家に住んでる人に、私が外から電話掛ける意味って…と少々疑問を持ちましたが、そこは考えないことに(笑)。Yちゃんに電話かけるも、もちろん繋がらず…。とりあえずLINEを送って既読になるのを待ちました。そうこうしているうちに、今度は義母の姉から電話が…。
「Yちゃんがお世話してくれないって電話が来たんだけど…」
おいお〜い!話が広がってるぞ〜(汗)こっちとら楽しい旅行の真っ最中なんだぞ〜(泣)。
「Tさん(義母の姉)…。私たち旅行に出てまして…」
「聞いてるわ。戻ってこれないの?」
ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリム〜〜〜〜〜リ!!!!!!!!
まじかよ〜〜〜(笑)そんな事言う?(いや、言うか〜笑)
なんとかYちゃんと連絡つけないと、こっちの旅行が台無しになる!つうかもう台無しになりつつある!(笑)初日の旅行工程をこなしつつ、Yちゃんに電話かけつつ、義母姉の電話攻撃に晒されつつ、義母の電話に対応しつつ…。子供にはつまらない思いをさせたくない一心で、移動中は電話対応に追われたのでした(苦笑)
旅行中でんがな〜(笑)
夕方、Yちゃんと連絡がとれたので、義母のことは一安心…と思いきや、義母姉が想像力豊かで
「Yちゃん、おかしくなっちゃったんじゃないの?」
「お母さんを虐待してるんじゃないかしら?」
「あんじさん、なんとかしてちょうだいね」
え〜〜〜〜〜(苦笑)それ私に言うの〜?ただの嫁なんですけど〜(笑)旦那に言ってくれよ!つうか、旅行中なんだよ(笑)そんなモヤモヤした気持ちを抱えながらの旅行でしたが、それでも楽しく一泊二日を過ごし、翌日実家に様子を見に行くことにしました。
様子を見に…
実家つくと、Yちゃんは具合悪そうにソファーに寝そべっており、義母は自分の部屋で寝ていました。だいぶ痩せ細っており、「これは大丈夫か?」と思うほどでした。本人は大丈夫と言っていましたが、Yちゃんに聞くとご飯は持っていっても食べないし、飲み物も飲めていないと言っていました。これを聞いて、「とりあえず虐待はしてなさそう…。」と思いました。
ベッドが低めだから立ち上がれないと言うので、使っていないベッドマットを追加で敷いたり、クッションを持ってきたりして自力で立てるようにしました。これ、お盆休み中で良かった(苦笑)。旦那がいなかったら私の判断で出来ないもんな〜。この日はこれで退散し、しばらく様子を見ようということになりました。その間に、訪問介護を頼んだり、認定の再申請したり、生活出来るように整えていこうと旦那と話しながら帰りました。方向が定まると少し安心しますね。お盆休みが休みが明けたら、包括センターに電話してみよう!そう思っていました。
しかし、翌日Yちゃんから電話があり一変します。。。
義母、入院するってよ
「お母さん、入院したいって」
え?入院したいの?入院て自分の意志で出来るのかな?そんな事が頭をよぎりました(笑)。
「本人が入院したいなら、そうさせれば良いんじゃない。」
という旦那の一言で、入院させることになりました。ここから大忙し(笑)。かかりつけの病院に電話をかけ、入院の意思があることを伝え、急いで義母を迎えに行き、受付時間が終わる時間までに病院へ義母を運び、問診やら、検査やら、書類提出やら…。その日一日があっという間に終わってしまいました。付き合ってくれた子供たち…ごめん(涙)。そしてありがとう。
悠々自適な入院生活
晴れて希望通り入院(原因は熱中症)できた義母は、悠々自適な入院生活を始めました(笑)。入院して2週間くらいは、電話で「あれ持ってきて」「これ買ってきて」と遠隔操作がありました。その度にイラッとしながらも面会時間(午後2時〜4時)で、なおかつ子供が帰宅するまでに病院に行って帰って来る日々が続いていました。たまに「私…なにやってるんだろう?」と思うこともありましたが、まぁお世話になってたし旦那のお母さんだし、できる限りやってあげようと思っていました。このまま入院しながらリハビリをして、一ヶ月くらいで退院の予定でしたが、また状況が一変します。
怖いぞ!誤嚥性肺炎!
「40度の高熱が続いています」
9月上旬に主治医から「誤嚥性肺炎」と「発熱」の説明を受けました。
これはヤバイ!そう思いました。「高齢者」「入院」「誤嚥性肺炎」「発熱」…なんつう最悪な並び(苦笑)。MRI画像を観ながら説明を受けましたが、明るい兆しが感じられない。後日、血液検査の結果から血小板の低下がみられるため、急きょ輸血をすることになりました。あかん…おかん最悪な状態やで(涙)。Yちゃんは「先生の話、ぜんぜん頭に入ってこなかった…」と言っていました。そうでしょうそうでしょう(涙)私も実母だったらこんなに冷静に聞いていられないかもしれない(いや、聞ける気がする 笑)。それにしても病院ていうのは、本人の意思が聞けない状況で、その場で家族が意思決定しないといけない事が多いんだなと思いました。持ち帰って考える時間がない。人の生死が関わるときって、すごいシビアで心に負担がかかると思いました。それを嫁の私が判断して良いのか?とも思いました(笑)。
お次は転院手続きかよ〜
輸血が効いたのか、回復してきた義母。しかし、入院当初のようにベッドから立ち上がる事はできなくなり、寝たきりになりました。そして嚥下機能が低下したため、経口摂取は出来なくなり常時点滴になりました。お見舞いに行くと、「あれが食べたい」「水が飲みたい」と言われることが多くなり、お見舞いに行くのが億劫になってきました。それでも週に2〜3回は行くようにしていました。えらい?いや、違います(笑)。なるべく行くようにしていたのは、義母姉やYちゃんから「今日の母」の様態を聞かれるからです(笑)。私は、義母が入院したときに決めていました。「いい人戦略を実践しよう!」と。私は自分が「いい人」に見られるような行動をベースにしていたので、少しの億劫だったら我慢出来たのでした。お陰様で周囲の親戚関係からの株は急激に上がっています(笑)。そんなお見舞い生活を続けていましたが、入院していた病院からは2ヶ月で転院しなければならず、10月下旬には出なければならなくなりました。
転院先を決めよう!
各病院にはソーシャルワーカーさんが居て、相談出来るようになっているようです。うちはすぐに相談することができました。とはいえ、家族間で相談することが多かったり、健康保険の確認があったりと、初めてだとかなりてんやわんやします(笑)。転院先の病院を決めるだけですが、まずは希望病院のベッドの空きを確認しなければならず、「ソーシャルワーカーさんに転院先を伝えて」「ソーシャルワーカーさんに先方のベッドの空きを確認してもらい」「OKだったら、主治医に診断書を書いてもらい、先方に送ってもらい」「自分で先方に面談予約を入れ」「面談に行き」「問題なければ申し込みをする」という流れになります。早ければ一週間で転院まで行けると思います。うちの場合は一件目の病院は面会(お見舞い)の制限が厳しかったので、他の病院を探すことになり、なんだかんだで二週間弱かかりました。決まるまでは落ち着かないんですよね…。ずっとソワソワしてる感じがストレスでした(泣)。
義母は寝たきりだったので、介護タクシーを頼む必要があったのですが、それも転院先で用意してくれました。無事に転院を終え、現在は療養病院(終身で入院できる)に入院しています。私と旦那はおそらく退院は無理だろうなと思っていますが、義母姉やYちゃんは退院出来るかもと思っているような感じがします。
思うこと…
怒涛の三ヶ月でしたが、いかがだったでしょうか?(笑)ちなみに入院費は140万円弱かかりました。リース代(おむつやシーツなど)は別です(笑)。義母は個室だったので、だいぶかかっちゃいましたが、義母が貯めていた貯金を切り崩して支払うことが出来ました。転院先は4人部屋なのでここまでいかないとは思いますが、今から請求に戦々恐々です(笑)
人生を閉じていくというのは誰にでも起こる事です。その道のりを事前に体験できている事はとても有難いなと思いました。自分の両親の時はどうなるかな?とか、自分の時は子供に負担かけないようにしたいな!とか、貯金大事だな(笑)とか…。
人生折り返しに入った今、考えさせられることが多い出来事でした。後悔しない生き方をしたいな!
おしまい
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